さて、意思を鍛えていきましょう。

そもそもは、なぜそうすべきかという大目標の設定が必要なのですが、それはちょっと手触りがつかめていない。英語が話せたら良いなと思いながら、一日数個のフレーズを暗記してはいるものの、具体的な目標にはつながらない。日本一の映画字幕翻訳家になって映画ファンから嫌われてやるみたいな目標はないわけで。

 それで、そこに執着して停滞するよりかは、他の課題を思考していこうかなと思ったわけだ。完璧よりもまず前進を。


 それで、なぜそれに取り掛からなくてはと思ったのか。

「コンフォートゾーンから出るタイミングとして今が適切だと思うのはなぜだろう」

単純な話、恐れからです。ある程度は私は今後の人生何者でもないのだという実感を得ているわけだが、かといってそれが心地よいかは別の話。一市井の人としての幸せを享受できればそれも幸せだろうが、私の不釣り合いに肥大化した自我はそれを許さない。人生は何事かを成すにはあまりに短く。なにごとも成さぬにはあまりに長い。そんな言葉も思いつくが、それが書かれたのは平均寿命がもっと短かったころの話だ。現代人は無駄にするくらい時間が余っている。そしてそれをわかっていて人生をすり減らすことに恐れている。なにかに挑戦して失敗するよりは、挑戦していたらなにかになれたという可能性を残して朽ちていくほうが精神衛生上好ましいこともある。

ただ今の私は、客観視し過ぎの作用によって、可能性を残して何もしないことで潰れていく可能性に思いを馳せてしまい。何かをせずにはイられないのだ。

というわけで、私は、無色透明な群衆の中でも存在感のない人間から脱したい。せめて、自分自身では色味を特定できるくらいの人となりを身に着けたいと思っている。


と、この質問に対して適切であったかはわからないが、ひとつの思索としては成り立っているのかなと思う。私は今の私のままでいるのを恐れている。だから今がその時だ。