ブログもなかなか続かず、意志薄弱に更に磨きがかかってるように思う。けれども、それを自認していないほど救いがない訳ではない。そこを唯一の希望とし、成長していけたらと思ったりもするのだ。

 で、グリットに関する本を読む。ようは強固な意思というのは後発的に身につけることはできるのか。というような話。

 まあ、本の内容的には、要所要所で自身を見つめ直して、目標に焦点を当てることによって、少しずつ前進していきましょうとうもので、堅実ながらまどろっこしい内容だった。

 でもそれくらいしか残された人生やることはないのだからちょっと試してみたいと思ったわけで。

 で、夢や目標、そして日々について思いを巡らせる必要がある訳だ。

 「毎朝目覚めるのはなんのためか」

 考えたこともない。仕事をするためなんて答えが浮かぶような環境には身を置いていないし、家族のためなんんて殊勝なことが言えるほど良好な人間関係を気づけていない。となると、もはや機械的に目覚めて朝食を摂るくらいしか理由がない。

 そうなると、毎日はくすんでいき精神をどす黒く着色する以外の機能を持たない。例えば、楽しみにしている朝ドラみたいな軽いものでも良いから、しっかりした「目覚めの理由」を持たなくてはならない。

 今、私がしていること、趣味というか、映画やドラマを見たりゲームをしたりとうのも、心から楽しむと言うより、あとは老いて朽ちる現実から目を逸らそうと覆いをしておる行為にしかなっていない。

 やっていることを楽しんで、それに感謝することで生産的な行動へも結びつくだろうが、なにゆえ長年掘り進めてきたネガティブの轍はかんたんには修正できない。

 本来は、なにか行動を促す考えを発露させる質問のはずがいつもの暗黒くだまきになってしまう。

 多分手前の段階で、目標を設定し、それに前進していくために日々目覚めるという順序が足りないためであろう。

 ということで、真人間になるのが目標だ。

 具体性がまるでない。

 取っ掛かりのない目標は、それだけでやる気を失わせるそうだから、ここも一考せねばなるまい。真人間とは何なのか、何ができたらそう認められるのか、具体的な人物は浮かんでいるか。

 それはまたあした考えよう。