グリットを鍛える「今までにやり遂げたことの中で、最も困難だった挑戦は何だろう」

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 さて、ブログ更新も例のごとく停滞中。そりゃなぜ意志力を鍛える必要があるかっていうと、意志力が貧弱だからである。


まあ、いろいろと目標を書き出してみても、何一つ着手できちゃいない。近頃の行政とおんなじ有様だ。寂しい独り者の特権である、ネットでニュース批判するのも気が引けるくらいなにもしていない。


さて、なんもできないのは、何かが成せると思っていないことが原因だ。徒労に終わることを何より恐れている。たとえ成就できなくても、行程の中で得るものがあるかもしれないというのに。

果たして、今までの人生のうちですべてそういう生き方だったのだろうか。たとえ小さなことでも、なにかの成功体験があれば、それを基軸に成長していけるというものだ。だが、まったく思い浮かばない。

小さい頃は、必死に宿題をやる真面目な子供だったと言われたことがある。

思い返してみれば、なかなか宿題が終わらず半泣きで勉強机に向かっているふっくらした少年の姿が浮かぶ。

だが翌々考えてみれば、勉強ではなく宿題である。自ら立てた目標ではなく、ただただ、怒られるのが怖いとか、みんなの前で恥をかきたくないといった心情でやっつけているものだ。なにか叶えたい願望から、そこへ向かうため努力していることなどではない。

結局本質的には変わってない。与えられたものしかこなして来なかった結果、大人として自分自身での目標設定が必要な段になって、迷子に鳴ってしまった。

最近ゲームばかりしているのも合点がいく、ゲームでは全てに行動に意味が持たされている。それはゲームデザイナーがプレイヤーに満足感を提供しようと入念に設計した与えられた目的であり、自ら見出したものではない。

ときたま、独特のビデオゲームの楽しみ方をしている人がいる。RTAとかでもいいし、特定の状況下で特殊な反応が得られるか試してみたりだとか、そういった人は、ただただ与えられたビデオゲームをしているだけでなく、自ら原初的なゲームを見出している。

最近フロー体験の本を読んだけど、そこでも、自分でゲームを見出すことが幸福への第一歩だと書かれていた。

退屈なベルトコンベアー業務でも、自分から作業効率を向上させる目標をもってそこに集中すると高揚感のあるゲームが生まれる。

私は、いままでの人生自らゲームを作り上げたことはない。ただただ、社会の作った構造の中をある程度クリアできるものをつまんでこなしていたに過ぎない。

もっとも困難だった挑戦というものさえない。私は挑戦していない人生を歩んできたからだ。

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