今日も今日とて、ダウナーに目覚めました。

そんな気持ちで自己分析をしても後ろ向きなことしか浮かばないのでは前向きに生まれ変わることは不可能ではないかとも思えてくる。しっかしニュートラルギアが後ろ向きなのだから見つめ直す自分自身としては正しいのかもしれない。

ってことで


あなたの成功を喜んでくれる人は誰だろう


自分を大事にできないのであれば、自分を見つめる目について考えてみよう。さすれば自分から湧き出ない活力を得られることもあるでしょう。

うーん。

考えるに、成功を勝ち取ったとき親類は喜んでくれるだろう。頭のおかしな独我論的な思考をもった子供といえども両親はそれなりの愛情を注いでくれていたと思う。その証拠に兄妹で優位差を感じたことはないし、まともな兄弟もいる。だから育て方が決定的に間違っていたわけはない。

だから、両親はちゃんと私の成功を喜んでくれるに違いない。これはほぼ確信だ。しかしそれは絆の強さだとか、感じ取った愛情からそう結論づけているわけではなく、客観的に要素を分析した結果そう思っているに過ぎない。

どこか私はカジュアルにサイコパスな帰来がある。出会った人に対し、感謝を抱くというよりは、感謝を抱くべき場面をちゃんと把握しているといった塩梅で、そんな心持では恩師に対しても適切な感情を抱いているとは言えない。最近は顔も合わせていないし。

そんなことでは、文章にせよ何にせよ、人の心を動かすようななにがしかをも成し得ないのだろう。

瞑想などを初めて、自分の心に向き合う機会は増えているが、どうにもわかりきった空疎な能面の横顔しか見えてこない。もう少し掘り下げたら仮面の裏側が見えてくるのだろうか。どうにも続けた先にはなにもないような気がしてならない。

よくないね。

何も得られないと思っては、本当に何も得られない。目的のものを得ようと努力した結果、それが手に入らなくても、何かが得られているはず。結果ではなく過程が大事だが、結果をイメージしなくては大事な過程さえも生まれない。

これらのポジティブな考えはすべて、知見として持っているものであって、私の元来の考え方ではない。どのように見に染みつけるというのだろうか。ますますわからなくなってきた。

喜んでくれる人、いろいろな人の顔が浮かぶ。しかれどそれは心から浮かんでくるものなのだろうか。