マトリックス4と実写カウボーイビバップの共通点

社会の変化に、 いろいろ生きづらい世の中になった。

いやふと思ったけど、もともと生きづらかった。平常運転だな。


ってことで社会の変化と、女性キャラクターの話。

マトリックス4見たよ。

思い出探しの時点で、どんな出来でも面白さは保証されたようなもの。私の結論としては、ストーリーが面白かったし、エンディングが最高だった。よかった。


で、ストーリーの軸となるトリニティの描かれ方を見ていて、実写カウボーイビバップのジュリアを思い出したって話がしたい。


まず、実写カウボーイビバップの話。

原作アニメでのジュリアは、ほぼマクガフィンだった。(もちろん私見)厚みのあるキャラクターではなく、主人公スパイクの過去を象徴化した存在で、声優の演技でかろうじて人格を補っていただけ。ビシャスと合体させて、いなくなっても違和感がないくらいのキャラクターだった。

それで、実写版。これが厚みをもたせようとして失敗している。

造り手の意図としては、トロフィーヒロインから脱却して、一己のキャラクターとして自立してほしかったのだと思う。ただそれは、もともと最初からキャラクター性が画一されててこその目標だ。前述のとおりジュリアは、『自転車泥棒』の自転車のように象徴であってキャクター未満。そんな気遣いを抱く時点で解釈が間違っているように感じた。


で、マトリックス4のトリニティ。よかった。

もともと不可思議なバランスのキャラクター。救世主のネオとそれを導くモーフィアス。二人によって物語が進んでいく。そのなかの意外なツイストとして、本当の予言というものがある。トリニティの愛した人物が救世主だ、というのが真実。

傑作である一作目を何度見ても、トリニティがネオを愛する過程が弱い。物語の命運を彼女が握っているかと思いきや、結果運命だから運命というトートロジーに陥っている。三作目まで見たらさもありなんと、悪い説得力を増すのだが。

そこをもっと掘り下げたのが、今回4作目。

彼女の選択。そしてそれを受け止めるネオというストーリーになっている。

これによって、一作目での、結局ネオが救世主だったから円環的にトリニティが彼を愛した、という印象が消えて、ようやく二人だから目覚めることができた、というエンディングに到達できたように思う。

二作目、三作目を見たときの印象。やっぱ一作目のエンディングが一番。

そこから脱却した最高のエンディングに感動させられた。


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