『メルシィ!人生』2022年の鑑賞には違和感を覚える。

  • B!

 自分に自信を持つことは重要である。

っていま「じしん」を変換しようとすると必ず「自身」になる。一度消して修正しないと「自身」

あーもう

「自信」が出てこない。これは妙に示唆的に感じる。一度現在の自分をリセットなり破壊なりしてあらたな人格とならなくては自身は身につかんのだ。

ってな映画で

『メルシィ!人生』


 https://www.imdb.com/title/tt0243493/?ref_=ttfc_fc_tt

 https://eiga.com/movie/51637/

 https://filmarks.com/movies/12276

 https://coco.to/movie/5621

クビになりかけた男が、自分はゲイだと嘘を付き、ポリコレを盾にクビを逃れる。みたいな話。軽妙なコメディで見やすい。面白い映画ではあるのだけど、現代に見るとどうにも最後の収まりが悪く感じた。

もちろん最後は嘘がバレる。しかしほぼお咎めなしで、新しい恋人(女性)も出来て、よかったねよかったねなオチ。

これは搾取と言われてるたぐいの行為では

黒人のフリをして問題になった人を思い出したりした

https://www.huffingtonpost.jp/2015/06/14/rachel-dolezal-naacp_n_7582132.html


まあ、本作の場合、ゲイのフリを進めるのは主人公自身の発案ではない。隣にすむ初老の男性だ。彼自身はPCなんて言葉もない時代にゲイ差別を受けて、仕事をクビになった過去が示されている。ゲイのために社会に苦しめられてきたために、ゲイを利用して大きな会社を困らせたかったそうな。

ただ、出だしの部分で主人公に罪がないにしても、嘘による旨味の割に失うものがなさすぎる起来がある。

特に息子の心象がよくわからなかった。

最初は父になんの興味もわかない様子だったが、ゲイ・パレードに参加するのをみて、父さんには勇気があると見直した様子。しかしその後は描かれない。すべて嘘だとわかったら失望も大きいし、父である主人公が受けるダメージも強大なはずだ。このあたりの描写がないのはおめでたすぎるんじゃなかろうか。

2001年の作品で、当時の感覚込ではのんびりと鑑賞もできようが、今となってはもろもろ引っかかってしまう。

リアルに断罪されろってのも雰囲気には合わないけれど、もっと明確な禊を描いてくれないと、どうにも手放しで祝福はできない行いだと思うのだ。

それこそ、今新作としてリメイクしたら、SNSでカムアウトが称賛されて、その後嘘が暴かれて大炎上という流れになること請け合い。

そしたらどんなオチになるかな。すべてを失う鬱エンディングだろうか。まったくもって立て直せる想像ができない。

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